RE:Walkもう一度歩くためのCRPS闘病日記

過去にCRPSを完治させてランナーに。2018年11月〜2度目のCRPS発症 また自分の足で歩みたい。

リハビリ原監督の涙

2020年4月9日

 


疲れがやはり取れない。

 

頑張り過ぎた日の翌日とかそういう時って、眠くなって目を閉じて眠っていることが多い気がする。

今日は食欲があって、朝ごはんを珍しくしっかり食べた。

 


7時ころ

トイレ移乗

 

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10時ころ〜

CPM(45〜85度)

20分

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11時半〜

フェントステープ貼り替え

 


13時

トイレ移乗

 


トイレのあと、14時半まで休憩

 


15時

母と一緒に半ズボン作り(股が開くようにカット→ボタンで留められるようにした)

 

 

16時半ころ〜

PT/OT合同リハビリ

 


シャワーキャリー(福祉用品のシャワーチェアにキャスターがついているもの)に乗ってみる予定

 

だった。

 

スタッフたちがシャワーキャリーを探して、系列の同じ病院からわざわざ借りて運んできてくれたことを知った。

 

さらに、リハビリスタッフで18時30分まで模擬練習までしてくれていることを知った。

 

わたしのことを考えてくれた時間。

貴重な時間を、ありがとう。

 

リハビリスタッフが

早速練習に入ろうとしていた時、

私は、「気持ちに身体が追いつかない。できないよ!」とはっきり言葉を発した。


「シャワーは急がず、訪問看護師さんに来てもらって部分洗浄でいい」

とか、

「ADLを上げるために別の病院に転院する」とか

 


私の言葉が

今の現実を放棄しているように聞こえたらしくて、動くリハビリではなく意思の確認の日になった。

 

私は、「みんなの顔が険しくて、寂しそうで辛い。ちょっと待ってよ!」とまで言った。

 

そして原監督は、こんな状態でシャワーチェアに乗る練習をするのは意味がない。今日は中止にする、と。そして他のリハビリスタッフと母は、病院のお風呂場を見に行った。

 

その間、原監督と2人きりで話した。

 

 

かっこよくいえば

叱咤激励。

 


自宅に帰るという意味を忘れかけてるのではないか、

希望を捨てて、ずっとこのままだと思ってないか、、、

最近そんなふうに見えてしまうらしい。

 


原監督は、『昨日の夜、夜な夜なスマホ福祉用具を調べていると、本当に沢山のことを考えなくてはならないことを知った。病院職でもない、福祉関係のことも知らない24歳の女の子が、今までこれだけのことを抱えてきたのかと思うと辛かった。同じ気持ちを味わった。そしたらとっても辛かった。』と

 

 


よく今までやってきたなと。

 

 

普通できることではないと言ってくれた。

 


私は涙がどっと溢れた。

 


原監督「こんなに悩ませて、大変な思いをしている患者を忘れるわけがない。患者とPTとの関係は無くなっても人としての関係は消えない。上半身良くなったよー!と言って顔見せに来てよ」と言ってくれた。

 

 

リハビリのPTとしてではなく〇〇(本名)として言う。

 

 

『悔やまれる』

 

 

「こんな状態で帰すのがつらいし、情けない。

もっと良くしたかった」

 


といいながら涙していた。

泣いていた。

 

それでも原監督が

私の涙を拭いてくれていた。

 


『動かしていけば

拘縮が原因の痛みはいずれ必ず減ってくる』

 


もう残りの日にちで

Sさんの弱音は

聞きたくないよって最後に言われた。

 


今Sのためにできることをリハのチームみんなで考えてるよ。少しでも負担を減らせるように

少しでも楽なポジションが見つかるように

やっていくつもり。それがあなたにしてあげられることだから

 


と。

 

 

 

ポータブル2回でも疲れるのは分かるし、シャワーキャリーに乗るなんて

「早いよ!」と思うかもしれない。でもここでシャワーを諦めたら永遠と部分浴になるかもしれない。

 

お願いだからきっかけを逃さないで!と言われた。

 

病院で一回でも練習して帰るのと、やらずに帰るのでは訪問看護の人もスタンスが変わってくるそう。

危険なことはしたがらない。誰でも当然だと思う。


訪問リハビリのPTは原監督の後輩だと教えてくれた。パイプが繋がってた。

 

 

私はそれを聞いてもっと、もっと泣いた。

 

 

『他のどこの病院よりもSへの思いは強いよ。

それだけは自信がある。』

 


今回の退院も、結局根本治療が進まずに、自宅生活できるように仕上げて帰るのか...と失望されても仕方ない。でも今回自宅に帰るときは、訪問看護がある。ケアマネのような人もいる。相談できる人がついてる。一人で悩まなくていい。

 

原監督の言葉は重く、深く私の心に響いた。

 

原監督と話せてよかった。

 

 

19時

トイレ

動作に約30分かかった。普段も準備から計るとそのくらいかかる。

介助する母の必死な姿、焦った様子を見たくない。苦しくて仕方ない。

 


慌てなくていいからと優しく言っても、いざやるとなると慌てまくる。

落ち着いて!と何度も伝える。

 

〈課題〉

①移乗するときに2人とも足元が見えない。

②トイレ終わってからベッドに戻る時、私は脱力するし母は私を運べない。力がうまく使えてない?力を使わなくてもコツさえ掴めば華奢な母でも楽にできるはず。

③ベッドに乗ったあと、1人介助で頭の方に移動できるか

 


〈対策〉

①足の位置や体勢を見てもらう、スタッフに動画で撮ってもらう→改善策を見つける

②ベッドの右側にトイレを置く

 


19時35分

主治医の先生回診

トイレだいぶがんばってますね

母のことも労ってくれた。

 


※トイレの後疲れて呼吸が浅くなる。


20時

看護師さんが薬を持ってきてくれた時に、移乗のポイントを教えてくれた。

 


体重を母に任せて倒れかかった方が、母は楽なみたい。明日やってみよう。

 


母は、「Sが私だと不安だから身体を預けられないんだと思う」って。

 

トランスファーも信頼関係が大切だと痛感。

 


わたしは母に介助してもらうのが怖いから、預けられなかったんだなということが分かった。

言われるまで気づかなかった。

 


「前の病院で練習したのと何が違う?」と母に聞いてみてよかった。

 

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↑さすがに冷やしすぎてこの色の違い。

凍傷に気をつけます。

 

【備忘録】
足が勝手に動く。指も。

不随意運動ジャーキング

眠りかけている時や眠っている時身体全体がぼんっと跳ねる。痙攣する。

急に。びっくりする。