2020年8月13日
救急搬送のことについて
午後13時 腕のモゾモゾが始まりつつあったのでジアゼパムを内服。
13時30分
苦しい中、リハビリの時間。泣きながらやった。担当PTさんの顔を見ると少し気持ちは落ち着く。車イスのことや、脳にアプローチするリハビリについての提案など考えていることを話した。
というと、PTさんもすぐに分かったようで目を輝かせていた。あの方のセミナーがあれば必ず選ぶくらい好きでしたと。
森岡周先生の研究に、私を実験台として使ってくれないかな。
影絵のリハビリでCRPSが改善したという研究を発表している。
PTさんにその方の話をしてよかったと思った。
その後、15時〜福祉用具担当松さんが
来るまでで症状はさらに悪化。
何をしても良くならない。
身の置き所がなく、あーもうどうすればいいんだよ!と半ギレ。子供のように涙した。
松さんと話せるような状況ではなかったので、これまで作った資料や車イスのことを母に短時間で話して託した。
そして
2人が居間で話している中、落ち着こうとするも困難で母にショートメッセージを送る。
「もうダメかも。救急車よぼうかな」
返事なし。母も、着信には気づいていたが松さんと話し中だったこともありシカト。
さすがに我慢できん!と思った私はもう一度ショートメールを送った。
「救急車呼びます」と。
すると、ただならぬ事態をようやく分かってくれて松さんにも急遽帰ってもらうことになり母はドキドキしながらも救急車を呼んでくれた。
あまりこの辺りの記憶がないけれど、
救急車の中が涼しくて安堵したのを覚えている。
近くの病院に着いてから
すぐに点滴を開始した。
脳や血液など一通りの検査を受けて
ジアゼパム(痙攣を落ち着かせる薬)の筋肉注射をしてもらった。
それでも体の不快感や寒く感じたり暑く感じたりが激しく、とても辛かった。
その病院に少しの間入院できないか?と父が医師と看護師に伝えるも、ここに居ても治療がなくかかりつけではないため、いつもの病院に行くのが一番との回答。
私の身が移動できないので、介護タクシーを急遽頼んで一度自宅に帰る。翌日にかかりつけ病院に緊急で受診。それが一番いいと思うと提案を受けた。
私は、もうあの家には帰りたくない
そう思うくらい
生きるのが辛かった。
ドクターと師長さんがその後色々と考慮してくれて、主治医にも連絡して紹介状を書いてくれた。かかりつけの病院に救急車で行けるようにしてくれた。両親と私は安堵の涙。
よかった。本当によかった。。。
親身になって考えて、行動してくれたドクターには本当に感謝がこみ上げてきた。
ちゃんと考えてくれるドクターは
そうそう居ません。ありがとうと伝えた。
かかりつけの病院に着いてからはというと、
あまり記憶がない。
意識消失が何度もみられたと言っていた
後から聞くのは怖いくらい
迷惑かけたんだなあと思った。
22時ころ病棟へ上がり、部屋へ。
監視モニター付き、動いたらセンサーが鳴るような機器をつけられて過ごした。
疲れたというのが昨日の感想。
今日我慢していたら
もっと大変なことになっていたかもしれない。
クーラーなし30°近い部屋で過ごすのは
身体にも患肢にもかなり辛かった。
苦しいと根を上げた自分。
でも不思議となんとも思わなかった。
よかった。入院できて
安心して過ごせる。
めまいも強いので来週に耳鼻科受診と、脳波の検査を行う予定。
体調も落ち着いて
自宅環境が整ってから退院。
2〜4週間かと思います
まずは気持ちと体を楽にして少しでも回復させたい。
ペインリハビリテーションを生きて
をもう一度読み返そうと思います