RE:Walkもう一度歩くためのCRPS闘病日記

過去にCRPSを完治させてランナーに。2018年11月〜2度目のCRPS発症 また自分の足で歩みたい。

スムーズなCRPS理解〜3月病院受診③〜

2021年3月23日

 

今朝も昨日に続きコートリルは5mg。

副作用が出ていたため、

10mgから減量しています

 

 

9時30分自宅を出発して10時45分頃病院到着。

 

 

月に3度も大学病院に行くと

車イスの振動にも慣れてきたようです

 

予防的に頓服のリボトリールを内服して

吐き気止めは内服せずに済みました。

 

 

今回は整形外科にて、

身障者手帳の更新のための診察と計測のための受診。今月ラストですね

 

 

初めて会う先生だから

どんな感じなのか...と気になり

顔を知っておこうと思って

調べてみた。笑

 

今はなんでも検索できる時代。

 


なるほど、こういう先生か!

 

母と共有しました。

 

 

有名だったので

経歴もしっかり知ることができて良かったです

 

 

13時過ぎ

診察室に呼ばれて入室。

 


てきぱきとしたドクターで、

わりと面白かったです

 

キツネ先生と呼びます。

 

キツネ先生「寝たきりは1級

全く歩けない・立てないは2級

ちょっとなら歩ける なら◯級

だったり決まっていて


だから、どんな病名でも

障害の度合いと日常生活の支障度合いで

等級は決まるんだよね


だから、まず2級だね」

 


と。

 


更新期間も、以前は1年だったけど、

3年に伸ばしていただけることになりました。

 

 

 

キツネ先生「いま頑張っているんだよね

(カルテを見ての言葉でしょう)

 

 

だから最終的には歩けるようになっていくことを目指しているんだよね」

 

分かってくれていました。

 

疼痛外来の主治医の先生のおかげだと心から思いました。遠くの目指す目標まで、

初対面の先生が知ってくれていて、

その上で今の状態を理解し

適切なサポートが受けられるように

してくれました。

 

 

3年後にはもっと軽い等級になっていられるように頑張っていこうと思います。

 

 

いずれは身体障害者手帳は不要になることが最終目標に近いのではないかと思います。

 

 

キツネ先生とは

次の身体障害者手帳更新の時にしかお会いできません。そして3年後は、地元に住んでいるかも分かりません。

 

誰にも分からない将来。

 

 

また、主治医の先生が書けない診断書が必要なときは

どうかよろしくお願いします。

 

 

 

何度も繰り返し言うようですが、

主治医の先生が事前に診断書を書いていてくれたおかげでとってもスムーズに診断書の話ができました。

 

 

感謝してもしきれないです。

 

 


病気の説明も、現状の説明も大変なんですよね

 

 

CRPSの闘友の方々はよくお分かりかと思います。

 

 


ありがとう、先生。

 


ちゃんと考えてくれて、ありがとう。

 

 


正しく病状を理解し、

患者に寄り添ってくれてありがとう。

 


私はこの今の主治医の先生を生涯忘れないと思います。

 

 


これから先、地元で生活する中で

ぶつかることや何か大きな出来事があっても、

先生が恩人であることに変わりはありません。

 

 


そして、立ち止まることがあっても、完治目指して努力することを誓いたいと思います。

 

 

 

キツネ先生が書いて下さる診断書は、4月中の市役所申請に間に合うように書いてくれることになりました。

 

 

前医(前病院の医師)の場合は

かなりかなり遅かったですが、

それを基準にしたらダメなんですね。

 

 


きちんと医師の仕事をするということ、

そして

患者を治したいという気持ち

は比例してると思います。

 

だから、

オペを上手くなりたいなんて整形の先生が患者に言ったって、患者の生活の事を考えられないとフォローが足りないんです。

 

 

『治療の先のことを一緒に考えていく』

 

これの素晴らしさを感じられるのも

医師のやりがいではないでしょうか。

 

 

前医の話になると熱くなってしまいます。

 

 

プラスなこと、プラスなところを見つけましょう

 

 

とにかく、

周りの方々や新たな先生との出会いに

感謝します。

 

 

 

以前のブログでも書きましたが

 


義務教育期間を過ぎると、人生には自分でレールをひいて、進んでいくようになります。

選択の繰り返しなんだなと本当に思います。

 

病気をして、思い描く将来や生活ではない日々を送っていますが、

レールはそれてしまったものの

止まるはずのなかった駅に止まることができました。苦しかった経験は10年後に笑えていれば良いと思います。

出会うはずのなかった新しい出会いが

たくさんたくさんあるので、

 

悲観せず進んでいきたいです。

 

 

自分の人生、思い通りにはいかないのは仕方ないし、起きてしまった事は変えられないけれど

 


人間が転んだら起き上がるように、

 


今の経験をバネに

 


次に出会える自分や人のことを考えて

 


いつか、いつかと希望を持って生きていくしかないんじゃないか

 

 

 

人間は、生きているだけで

頑張っていると思うから。

 


頑張っていない人なんていないから。

 

 


こうして闘病していなければ

見えなかったものや出会えなかった人に

ありがとう。なんです。

 

どんなに辛く、大変でも周りには人がいます。 

 

 

ようやく、前が見えてきて気づいたこと、感謝の想い。

直接伝えるから待っていてください。

 

 


亡くなってしまった大切な人たち(闘病仲間、会社の上司、おばあちゃん、きさこさん)

 
私が想いを届けに行くまでどうか見守っていてください。

 

 

 

強く、しなやかな女性になります。

 

 

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このレンタル車椅子とももう少しでお別れ


 

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来月の通院日は暖かい日になりますように


 

 

run tomorrow

明日を動かせ