突然すぎた先日の悲報。
もう会えない。
※昨年書いて下書きのまま保存していた記事となります。
10月4日、元職場でお世話になった上司が
亡くなりました
同じ部署で、
皆に愛されるような大切な人の最期でした。
皆も空も大粒の涙を流していたと思います
「ことばが見つからない」
まさにこの状態になってしまいました。
早すぎて急すぎて。
今ようやく
感情を表せるようになってきたところ
(10月下旬ごろ)
本人はどんな気持ちだっただろうか
痛みがあっただろうな、苦しんだのだろうな。。。
自分がベッド上で洗髪してもらう中、
久家さんは
こんなふうにきれいにシャンプーしてもらえただろうか
なんて考えて
静かに泣く日もあった。
久家さんに
休まる時間はあったのだろうか? と。
_________________________
病気を機に、職場を離れた私。
病院にお見舞いに来てくださったこともありました。
会いたかった。
ただ、会うこと、
そう「再会できること」だけを考えていた私。
突然の病で亡くなった上司。
マラソン大会のボランティアを広めた人。
一からマラソン大会を作ってきた人。
私なんかまだまだ何も知らずに退社することになりました。1年でさえたくさんのことがあり、吸収したつもりでも、自分で一からやるということは達成していない分、まだまだ知らないことに溢れていて、ほんの序章に過ぎなかったと感じています。
門を叩いただけで終わったような物足りなさもありました。
先輩たちのようにもっと成長したかった。と
直属の上司…
これまで感じてきた苦労と達成感がどれだけあっただろうか。と度々考えます。今は想像することしかできないけれど、久家さんが作り上げてきた大会やマラソンボランティアのボランティアセンター。
それらの形が、熱い想いを持つ先輩方へどんどん引き継がれてきた と思っています。
私は、ただただ久家さんの人脈に助けられ、久家さんのお陰で多くの人と関わることができ、繋がりを感じながら過ごして仕事が生きがいとなっていました。
私にもたらしてくれた1番の事
それは「繋がり」です。
「人が好き」な私の性格を、そっと
もっと引き出してくれたんだなと思います
ありがとう。本当にありがとう。。。
ひたすら別のことを考えようとしても無理なので、精一杯久家さんを想うことにしました。
どんな曲を聴いても思い出すから、どんな曲でも聴くようにして過ごしました。
失ってからでは遅いけど、
ありがとうと、
悲しい気持ちで自然に涙が出ることを
気にせず
泣き続けました。
というか、自然に流れてくる涙は
無理に止めようと
がまんする必要もありませんね…
悲しみだけの涙ではない
と思うのは私だけではないと思います。
この涙は、悔しさや会いたかったのにという無念の感情の他にも、「出会うことができて 関わることができた時間がどれほど貴重な事かを再認知し、ありがとうというまっすぐな感謝の思い」も含まれていました。
生きたくても生きられない人が
どうしていつも「いい人」なんだろう。
本当にそう思います。
出会えてよかったという言葉だけでは到底表せない感情もありますが、これまで以上に久家さんを想っている自分がいます。
関わった人たち皆さんが想うこと
それぞれたくさんあることと思います。
もっと近くで関わっていた方々や、
長い間苦楽を共にしてきた方々は、
失ったことの実感が強くあって、
苦しさも私以上なわけです。
だから私は日々『奇跡』を忘れてはいけないし
生きている、健康であるという本当の有り難さを私は常に体感することで
久家さんを含め、大切な人たちを思いたいと思います。
今在ること、今の環境、人との出会い、関わり、好きな事や趣味で楽しめること、そして明日がくること
自分に起こりうること
何もかも奇跡だということを体感しています
自分にとっては、自立し一人暮らししていて、歩けることも走れることも、仲間とお酒を飲めることも、好きな人たちと笑って居られることも幸せで。何の苦痛もなくシャワーできることも、寝返りをうてることも。
それを普通にできるようになるまでは時間がかかり、これから身体がどうなるかも分かりません。
小さな幸せやありがたみを
たくさん見つけて思い出して、少しずつ
前に進むしかないと思っています。
亡くなった先輩の分まで
私も元気にならなくてはいけない。
元気になりたい。
車椅子で外に出たら
空を見上げたい。
身体と時間が許すなら、
できれば何分か見ていたい。
空はどことでもつながっている。
誰かとも繋がっている。
感謝。
合掌。
謹んでお悔やみ申し上げます。
※上記は昨年、思ったことを書いたのですが
投稿する機会・タイミングがありませんでした
ずっと心の中で生き続けています
また、会える気がしてなりません。
お互い元気に会いたかったですが、
私自身の顔を見せられるように
歩けるようになって、手を合わせに行けることを目標にしていきます。
文章だと伝えきるには難しいですが
日々感謝です。