RE:Walkもう一度歩くためのCRPS闘病日記

過去にCRPSを完治させてランナーに。2018年11月〜2度目のCRPS発症 また自分の足で歩みたい。

昨年の今日。思い出と言霊(ことだま)

 

 

2020年の9月12日をiPhoneのアルバムで振り返ってみました

 

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メニエール病の薬の写真でした。

 

 

この頃が多種多様な薬を持つことになった最大の頃。

薬のことを「在庫」なんて言えるレベルで

なんでも持っていました。(※いまだに様々な症状への薬在庫があります)

 

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イソバイドシロップ(とても不味い薬)をオレンジジュースで割って飲んでいた頃。

 

 

もう耳鼻科に通院する必要がないくらい、症状はありません。

 

 

どんな症状を抱えていて、どれだけ苦しかったか。

 

 

…忘れました。

 

辛いことや嫌なことは忘れるんです

 

 

治るのが当たり前とは決して思わなかったけれど、

私の相手はCRPS(複合性局所疼痛症候群)だけでじゅうぶんだった

ということが

神さまやらお天道様やら含めてお空に伝わったのかもしれません。

 

 

そして昨年の今日は大好きな友人が、結婚の前撮りをしに行った日でした。

大学からの友人ですが、ずっと昔から出会うことが決まっていたかのような存在です。

 

 

離れていても、繋がっていることを

いつも教えてくれます。

 

2021年、友人たちが次々と結婚していく年。

 

北海道に行きたいのだけれどまだ直接会いにゆくには

身体がついてこない。

 

でも克服して

必ず会いたい人に会い、夢をひとつずつ叶えていきたいと思っています。

 

 

『また会いたい』と思う人に

『また会いたい』と思っていてもらえたら

 

それだけでも幸せなことだなと思います。

 

 

 

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元職場の方のススメで購入して読んだ本の中のことばに、

以下の言霊(ことだま)があります。

 

 

心の中に美しい未来像を描き

理想を追い求める人は

いつの日か

必ずそれを実現する

 

 

兄はこれを待ち受けにしたというくらい心に響く文章だったようで、

私が1つ前の病院に入院していた頃、

「覚えてる?」と応援のメッセージの手紙を病院に送ってくれました。

 

 

言霊は高校生の頃CRPSで困難を乗り越えるまで

書き続けた思い出があります。

いわゆる闘病日記です

 

 

 

苦しいことや辛い時は周りが見えていなくても仕方ない。

けれど

自分を思い出させてくれる最高の友人と兄、

私を知るたくさんの方々がいることだけは忘れずに。それだけは誇りに。頼りに。

 

 

まっすぐにヒトを愛する自分でありたいと今日思いました。

 

 

いつ誰に何が起こるかわからないのが人間だと思います。

 

 

明日急に会えなくなってしまったり

明日自然災害が起きてしまったり

明日事故が起きたり、

寝たきりになってしまったり…
大切な何かを失ってしまったり

 

 

そんな出来事を経験した方は

いらっしゃると思います。

 

 

だから伝えないといけないことば

伝えられる時に伝えたいなと思います。

 

 

2019年職場がある地域の病院で入院中、

ギリギリ間に合った『ありがとう』がありました。

 

同室で仲良くなった方。毎晩女子会のようなひと時が楽しかったことを思い出します。歳の離れた友人という表現が分かりやすいかもしれません。

oliちゃんは若いんだから大丈夫よ。これからが人生よ、可哀想だからどこか病院変えた方がいいわ。なんて私の事をいつも気にかけてくれていました。

自身が辛い痛みを大量の痛み止めでしのぐような毎日。

その方はステージ4のガンでした。

癌だとは思わせないくらいにパワフルでパワー溢れる人。

 

 

夏から秋にかけて病状が悪化して、癌は転移し、脊髄の神経まで広がり

ついには麻痺が現れ、車椅子の移乗もトイレも1人ではできない、寝たきり

車椅子の姿を見ることに。

 

私が動揺を隠せない中、そんな中でも「動けないけどしゃべれるし目も見えるからまだいいわ」「車椅子漕げるようになったら退院かな」なんて発する声を聞いて、この人はどれだけ強いんだろうと、私はただただ励まされていました。

 

 

入院が長かったので、

看護師さんたちに「〇〇さん良くないんですね…」と聞くと「あんまり状態が良くない」と教えてくれて。

家族も遠慮せず〇〇さんと過ごせるようにと、病室を移動していました。

 

※ご家族と私は今も繋がっています。

 

(本来は他の患者さんの情報は個人情報になるので伝えてはならないのですが、仲の良さを知っていて特別に教えてくれました)

 

 

やばい、と感じとった私は翌日の午前中リハビリが始まる前に、ご家族にももちろん了承をとって受け入れていただいてから病室に入りました。これまでの〇〇さんとは違い呼吸だけしている状態でした。耳は聞こえているみたいだから言葉は伝わっているよ、と娘さんから聞いて

涙を抑えられず、手紙と「ありがとう」と「歩くことを諦めないという誓い」を伝えました。

 

 

翌日、闘病の末、天国へ旅立ちました。

 

そのことは一度私が転院してから、

ご家族が連絡を下さって知りました。

 

最後にありがとうを言えて、

私の後悔は減りました。

 

あの時顔を見に行っていなければ、

出会ってくれてありがとう・パワーをくれてありがとう

存在にありがとうを言えないまま

さよならしていました。

 

心がざわざわして、動かなきゃと思ったあの時の自分にも感謝します。

 

 

悲報を受けたのは

腰部神経節ブロック(神経破壊術)(右下肢の疼痛治療のため)を受ける前夜でした。

 

何か意味があるかのようなタイミング。

 

 

生きているだけで、生きていることが、

貴重だと教えられた体験。

 

 

歩いてご家族に会いにゆきます。約束を果たして歩く私を知ってもらうために報告に行きたいと思っています。

 

 

『ありがとう』が本当にギリギリで

間に合った経験でした。

 

 

後悔してからでは遅いから。当たり前が壊れる前に動こう。

 

 

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昨年の今日よりも、今年の今日は身体も精神面でも良くなっています

 

安心して治療してゆけることを幸せに思います。

落ちるところまで落ちたらあとは、ペースに気をつけて上がるだけですね。

 

 

昨年出会い、助けてくれた皆様へも感謝を。

 

 

 

たまたま1年前はどんな写真を撮っていたのだろうかと

思い立って振り返って良かったです。

 

 

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明日を動かせ

イコール

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