RE:Walkもう一度歩くためのCRPS闘病日記

過去にCRPSを完治させてランナーに。2018年11月〜2度目のCRPS発症 また自分の足で歩みたい。

2022年4月はじまり

ご覧いただきありがとうございます

 

2022年4月1日が始まりました

 

久々に思いを書いていきたいと思います。

 

 

 

頑張りすぎ

 

このブログは好きでやっている。

 

やりたくてやっていることだから

 

別に毎日書く必要はないし

 

体調がつらいときは書かなくていい

 

と思う。

 

 

そういう気持ちもあるのだけれど

 

もうすっかり習慣になっているし、

 

文章で伝えることは難しくもあるけれど

 

結局書くことは好きなのだと思う。

 

 

私はこうやって文章を書くことで

 

自分の思考や内観をアウトプットしていて

 

 

それは一番は自分のためになっているし

 

願わくば読んでくださっている方たちに

 

何か伝わったり響いたりすることが1つでも

 

あったらうれしいなと思っている。

 

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頑張るということについて

 

それで、今日も

 

自分に言い聞かせたいことなのだけれど

 

…がんばりすぎるの、よくないよね

 

 

 

私が体調がつらくても

 

ブログを書いちゃうみたいに

 

やりたいことのために

 

ちょっとがんばっちゃうのは

 

いいと思うけれど、

 

日本人、みんながんばりすぎ。

 

 

と、いつも思う。

(だからといって海外がどうなのか比較できているわけではありませんが)

 

 

そして、同じような病気や障害を

 

お持ちの闘友の皆さんも、

 

本当にみんながんばりやさんで

 

「ただでさえすごくつらい状態なのだから

 

そんなにがんばらないでーっ」

 

 

って言いたくなっちゃう。

 

 

無理することが多い私が言っても、

何も信憑性がないけれど。😅

 

頑張っていると言われても

これで?

と聞き返してしまうような私だけれど。

 

 

 

でも、それぞれの状況や環境によっては

 

たとえ自分がどんな状態であっても

 

どんなに苦痛であっても

 

がんばらざるを得ないということは

 

あるんだよね…。

 

 

 

私も助けを求められる人や

 

頼れる人がいなくて

 

一人でがんばり続けるしかなかったし

 

闘友の方々も

 

本当はサポートが欲しいのに

 

それが受けられない事情が

 

それぞれあることと思います。

 

 

必要としている人たちが

 

必要なだけのサポートが受けられる

 

世の中の仕組みができていったらいいな。

 

とすごく思うのだけれど

 

それもなかなか難しくて。

 

 

『できるのを待ってはいられません』

 

『もう十分、待った人たちがいます』

 

ということも広めたいことの一つ。

 

 

もう少し声を拾おうよ って思うペインに携わる日本の医療。

 

 


病気や障害や特性などに関わらず

 

誰しも何かしら抱えているものが

 

あると思うのだけれど、

 

がんばりすぎて疲れてしまっている。

 

 

がんばりすぎて

 

本当はしたいことができていない

 

というような場合は、

 

がんばらなくていいところを探して

 

思い切ってやめてみるのも

 

一つの手だと思う。

 

 

それは、自分の

 

「やらなきゃいけない。やるべきだ。」

 

いう思い込みを手放して

 

やらない選択をすることかもしれないし

 

 

世の中の

 

「こうあらねばならない。こうあるべきだ。

 

これが正しい。これが普通だ。」

 

 

という常識に反することかもしれないし

 

 

人の期待に沿ったり

 

人に認められることを

 

やめることかもしれないし

 

 

人のことより

 

自分を優先することかもしれないし

 

 

周りの人たちを頼って

 

手を借りることかもしれないし

 

 

制度を使ったりお金を払ったりして

 

お願いすることかもしれない。

 


 

私自身がそうだったのだけれど

 

がんばりすぎると

 

身体も心も壊れちゃうから

 

 

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痛みの捉え方(周囲はどうすればいいのか)

 

日本は

「痛みはみんな抱えている」

「腰が痛くても仕事に行かなくてはいけないのと同じでしょう」

という世間の暗黙の了解があるし

痛みの理解が難しいということは分かっていながら、強い痛みのある人に発する言葉や対応を新しいもの(今までと同じでは改善しない)にしていく必要性は重要視されていないように思う。

 

人って一人じゃ生きていけないというのと同じで

関わる中で、自然に関係性が構築されていくもの。

 

だから、もし身近に「強い痛み」の疾患で

苦しんでいる人がいたら

 

その人が本当は「どう在りたいか」

 

「何ができるか」

 

を一緒に考えてあげられたらいいんじゃないかな

 

痛みを持つ中で、頑張るのってかなり苦しいから。

 

一日中、体に針が刺されているような痛み

を想像してほしい。

 

 

例えばなんだけど、

 

「精神的なもの」

 

と決めつける前に

 

痛みがあるからそりゃ精神的にも辛くなるよね

 

という柔軟な発想に

 

至ってほしいと強く願う。

 

 

決めつけることって誰でも傷つくよね

 

「話した上で知る」ことが大切なんだと思う

 

 

そして、

 

人それぞれ

 

生まれ育った環境も

 

受けてきた教育も

 

性格や個性や特性も違って

 

得意なことがあれば苦手なこともある。

 

 

「私はこれが得意だから、これするね~。」

 

「これならできそうだからやるよ~。」

 

という感じで

 

それぞれが得意なこと、好きなことをして

 

お互いを生かし合うことで

 

みんなが幸せに暮らすことが

 

できたらいいなと思う。

 

 

理想はね。

 

 

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ツナグスタンド の事務局に

 

新たなメンバーが入ってくれたらいいな。

 

これならできる、これやってみたい

で十分素晴らしいのだから。

 

 

 

日々の記録(抜粋)

 

2022年2月22日

 

訪問リハビリ

 

立位訓練をやってみて↓

股関節と太ももの筋肉がまだ弱い

 


そこがもう少ししっかりしてくれば

立位も、足部に負担が減らせて

できるようになるはずとの事。

 

 

座位にて起こる痙縮に対して↓

震えたら底屈させてみる

 

 

背部の筋肉の緊張が

ほぐれてくると

鼠蹊部の可動域も広がると思うとのこと。

 

 

体温が1度違うから

体調が悪くなかったのか、

今日はわりと生き生きしていた。

 

 

左下肢可動域訓練にて

終盤、

クタクタな様子を分かってくれていた

何から感じ取るのか分からないけど、

 

頭の中がぐるぐるして、

頭がいっぱいなのも

理解してくれていた。

 

呂律が回らなくなっていたり

言葉をゆっくりになるから気づいてくれたのか

 

 

立位の時には腕の力で立っていた。

逃れるために足は浮かせていた。

右足のかかとを着こうとすると

ふくらはぎの筋肉が伸展して

トレーニングになるから良い。

 

左下肢にも頼れないし

腰回りの筋力が無いから身体がねじれる(笑)

 

 

夜は頭が痛かった

 

 

2022年2月23日

 

左足の指が動きそうな感じがする。

昨日の訪問リハビリのおかげだろうか

 


ここ最近は右下肢の灼熱痛に、生理の影響による眠気が勝ち休めていた。

 

毎日波がある影響

 

タスクをこなすことについては

1日遅れのペース

 

リハビリについては

まだ全然理想には届かない。

体調は昨日と今日良いので頃合いを見て実践する

 

 

run tomorrow

明日を動かせ

 

 

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最後まで読んで下さってありがとうございます

 

これを読んでくださったみなさんと

 

みなさんの周りの方々

 

みなさんのご家族・ご友人が

 

幸せで豊かな生活を

 

送ることができますように

 


 

それではまた